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堂形のシイノキと一体となった格調の高い外観や、歴史を感じさせる玄関ホールの雰囲気が残され、一方、金沢城公園側は、全面ガラス張りとなっており、新旧が融合したデザインとなっています。3階建ての館内には、兼六園周辺の総合案内やギャラリー、レストラン、会議室などがあり、新たな賑わいと交流を生み出していきます。

Identity

  • 堂形のシイノキ

    堂形のシイノキ

    シンボルである左右対称のシイノキは国指定天然記念物で、樹齢約300年。加賀藩時代、この地に京都の三十三間堂を模した堂形の的場(弓の練習場)や米蔵(堂形米蔵)が置かれたことから、「堂形」の名称がつけられたと伝わっています。

  • 金沢城石垣ライトアップ

    金沢城石垣ライトアップ

    金沢城公園のいもり堀側石垣では、新たに復元された鯉喉櫓台石垣のほか辰巳櫓台下からいもり坂入り口まで連なる石垣が、夜間に美しくライトアップされます。しいのき迎賓館からは、夜空に浮かぶダイナミックな城郭遺構がご覧いただけます。

  • ガラス張りの空間

    ガラス張りの空間

    金沢城公園側は、開放的な全面ガラス張りとなっています。正面に金沢城を望み、石垣と緑との美しいコントラストを楽しむことができます。

  • ガラス張りの空間

    賑わい創出

    屋外の緑地では音楽祭など、様々なイベントが開催され、金沢城の石垣を背景にさわやかな空間の中、多くの人で賑わいます。

History

旧石川県庁舎本館の写真

旧石川県庁舎本館

旧石川県庁舎本館は、大正13年(1924年)に竣工した、鉄筋コンクリート造の建物で、設計は国会議事堂などの設計に携わった、大蔵省大臣官房臨時建築部 技師 矢橋賢吉氏が行い、施工は日本土木株式会社(現:大成建設株式会社)により建設されました。 新県庁舎(金沢市鞍月)への移転に伴い、平成14年(2002年)12月27日の閉庁までの約78年間県庁舎として使用されました。

石川県政記念 しいのき迎賓館は、旧県庁舎の一部を保存し、天然記念物であるシイノキと一体の外観や歴史的な意匠が残る玄関ホールや中央階段などの内部のデザインを活かしながら、新たな文化を育み、にぎわいの創出に貢献するものとして生まれ変わりました。

免振装置へ降りる階段

免震装置が見学できます

旧石川県庁舎本館は、大正13年に竣工した県内で最も古い鉄筋コンクリート造建築物のひとつと言われています。 しいのき迎賓館の開館に当たっては、その外観や構造体の一層の保存・活用を図るため、免震構造を採用しています。しいのきプラザでは、免震装置をご覧いただける見学コーナーを設けております。

旧県庁舎の概要

1. 建築概要

着工
大正11年6月
完成
大正13年6月(全体完成:大正15年3月)
構造
鉄筋コンクリート3階建(前面塔屋4階建)
延床面積
8,642.10m2
建設費
約123万円
設計者
矢橋 賢吉(旧大蔵省、工学博士、国会議事堂建築の直接的責任者)
施工者
日本土木㈱ 大阪支社[現 大成建設㈱]

2. 建物の特徴

  • 石川県で初めての本格的鉄筋コンクリート造
  • 金沢では初の非様式的な近代建築
  • 外装レンガは、大正11年建築の旧帝国ホテル本館で日本初に使用されたと言われる愛知県武豊産のスクラッチタイルを使用
  • 平面計画は略中字形で国会議事堂平面を踏襲
  • 内装は、漆喰仕上げの天井や正面玄関の漆塗りの扉など当時のモダニズムの粋を極めている。
  • 電気、暖房、水洗便所など当時の最新設備を導入

2. 設計趣旨

  • シイノキの色彩と建物の調和を図る。
  • 近代建築学の理想を具体化し、執務の便宜を主眼に、適当な美術的装飾を加味する。
  • 県下の特産品を建物に応用し、一般に紹介する。

旧県庁用地・県庁舎の変遷

文禄4年
(1595年)
前田利家が京都の三十三間堂を模した堂形の的場をこの場所に建て、家臣に通り矢を練習させた。
17世紀前半
通称「堂形」と呼ばれた米蔵(2万5千石)があり、家臣等に給する扶持米、切り米が収蔵されていた。
明治4年
(1871年)
廃藩置県で金沢県誕生。
明治5年
(1872年)
県庁を石川郡本吉村(現白山市)に移し、能美郡湊村と合併し石川郡美川町と改め、県名を石川県とする。
明治6年
(1873年)
県庁が美川町から現在地に移され、庁舎には堂形前の旧藩庁付属営修局建物(旧県警本部付近)が充てられた。
明治13年
(1880年)
県庁舎が建てられた。
大正13年
(1924年)
現在の旧本庁舎が建てられた。
平成15年
(2003年)
県庁が新県庁舎(鞍月)に移転した。
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